Fight&Life Web インタビュー


「引退は無い。今が成長期なんです」

【Fight&Life Web アマチュア大会応援キャンペーン第二弾】「11.29-30 BJJアジア選手権を制するのは誰だ!?」Vol.03 早川正城に掲載されました。

――早川選手が最初に柔術を始めたキッカケは、UFCなどでホイス・グレイシーやヒクソン・グレイシーを見たことだそうですね。その時には柔術ではなくて総合へ、という考えは無かったんですか?

早川 そう、僕らが最初に柔術に対して抱いていた印象は、今のような競技じゃなかったんですよ。柔術っていったら、普通に殴り合いもやって、というそういうものだと思っていたんです。僕が最初に習った先生たちに聞いたら、もともとバーリトゥードというのは、柔術で上の実力を身につけたものだけがやる戦いだったらしいんだけど、当時の僕たちはそんな考えは無かったですよね。

――グレイシー柔術、あるいはブラジリアン柔術というものが何なのか、さっぱり分からない時代でしたからね。

早川 僕が最初に正式に習ったブラジルの先生は、エドアルド・モリという人なんですけども、完全にバーリトゥード志向で、そういう練習していましたからね。

――早川選手は、もう名古屋の柔術界でも古参になります。その最初に習った頃、当時の名古屋の柔術界について教えてください。

早川 名古屋って、ブラジリアンが多いでしょ? だから当時でもブラジリアン柔術の道場は5つか6つぐらいあったんですよ。それで、僕たちの名古屋ブラジリアン柔術クラブ(以下、NBJC)の前身は、『ブラジリアン柔術普及会』というものだったんですね。ヒクソン・グレイシーのお弟子さんの広瀬賢一(前NBJC代表)さんと、もう1人アメリカで学んで来られた方が教えていて、その人たちと練習を始めました。そこにブラジルの先生方もたくさんいらして、時折教えていただいたんです。

――早くからブラジリアンの方々の指導が行われていたんですね

早川 もう第1回の全日本選手権(1998.8.16)が行われる前だと思うんですけど、もうこっちのほうに柔術の大会があったんですよ。谷(タカオ)先生主催のものが。ブラジリアンは4チームか5チームで、日本人チームは僕たちだけでした。『普及会』の頃は、みんな本当に遠くから練習に来ていましたよ。当時の練習は、カリキュラムとか全く無くて、いろんなヤツが勝手に集まってきて、勝手にスパーリングしているだけというものでしたね(笑)。

――それが競技志向に変わっていったのはいつ頃ですか?

早川 ちゃんとルールを意識して練習するようになったのは、やっぱり全日本が開かれてからだと思いますね。ただ、昔はある意味いい加減なブラジリアンコミュニティの中というのも居心地は良かったんですよ(笑)。僕も柔道をやっていて、その体育会系のノリが嫌だと思っていた部分もありましたし。でも、前は本当にちっぽけなコミュニティの中でやっていたから良かったんですけど、競技人口も多くなって、子供もやるようになってくると、社会的な責任や影響力ってあるから、そのままじゃダメなんですよね。

――そうなるのは仕方ないし、当然のことですね。

早川 でもね、そういう関係で良くも悪くも、こっちは熱い地域だと思いますよ。

――だからこそ、国内の地方の中でも、愛知県は格闘技が盛んなんですね。もう早川選手が柔術を始めて10年が経ち、失礼ですが年齢も40半ばです。引退などは考えていないですか。

早川 いやー、全然(笑)。引退はありえません。たとえば、僕がアダルトに出るのも、いろいろ意見があるんですよ。今のところ黒帯で勝ったことがないし、自分が世界で一番弱い黒帯だと思っています。でも、これは笑われるかもしれないけど、僕は今、成長期なんですよ。去年より今のほうが強い。何年も前より、今の方が絶対に強い。もう過去最強なんですね。どんどん強くなっていて、たぶん来年は今よりも強いだろうと確信できるので、「当然やるでしょ」という感じなんですよ。

――そこで、アジアチコに出場する理由は何ですか?

早川 大きい大会ですからね。全日本もそうですけど、基本的にはずっと出ているんですよ。どの競技でもそうですけど、全日本選手権というのは、日本で一番のビッグタイトルじゃないですか。選手全員が当然その大会を目指すべきだと思うんですよね。その連盟の中の、さらに大きな大会ですから、僕たちは出られるチャンスがあるのであれば、それは出ますよ。正直言って、勝つ可能性は少ないかもしれないけど、現時点の日本とか世界のトップ選手と肌を合わせることは非常に光栄なことであるし、自分だって勉強になるんです。

――確かにそうだと思います。

早川 やっぱりスパーリングと試合では全然違うんです。そういう強い人たちと戦いたい、勉強したいという気持ちがあるので、ある意味勝ち負けにこだわっていない部分はありますよね。でも、だんだんいろんな課題がクリアされてきて、勝ちに近づいてきているなと思いますよ。当然、体の強度が落ちている部分はあるんですけど、そこらへんはいろんなテクニックとか経験で十分カバーできると思いますし。だから、僕は「引退」って必要無いと思っているんですよ。

――え、それはどういうことですか?

早川 オリンピックやプロのアスリートは、周囲のいろんな関係がありますよね。だから「締め」を設けないといけないのかなとは思いますけど、もともとスポーツって好きでやるものじゃないですか。たとえば柔道や陸上の選手が「引退します」とか言うと、「その競技が嫌いなのかな?」って思ってしまう。「強化選手はやめるけれども、競技者として柔道は続けます」と言わないんですかね?

――それは柔術だから可能だという部分もあると思うんです。他のトップアスリートは、もう第一線で戦えなくなったら、もう引退するほかないんでしょう。でも柔術にはカテゴリーとしてマスターがあるし、シニアもある。ずっと続けられるシステムになっていますから。

早川 ウチのメンバーには、「一生、柔術をやってくれ」と思うんですよ。僕が勧めている柔術は、ライフワークとしての柔術なんですよね。相手と戦うこと以外にも、体の動きを学ぶことによって、日常の動作にも役立つことがあるじゃないですか。ある意味終わりが無い世界で、どんどん突き詰めていける部分があると思うんですよ。「一生をかけて学ぶものがあるからこそ、やる価値があるんだろう」と僕は思う。だから50歳になろうが70歳になろうが、もちろんコンディションが変わるからやり方も変えて行かなくちゃいけないけど、研究を重ねていけば変えられます。他の武術には我々が計り知れない方がたくさんいるので、その方向へ行きたいですね。